Aquilaのガンバ弦 切れた!
今朝の出勤前の楽器練習時間。ガンバのケースを開けたら、1弦が切れていまいた。確かに、昨日1弦だけがやたら低くなっていたので、危ないなあ、と思っていました。だから、やっぱり、ってことで、ガンバ練習はあきらめて、トラヴェルソで最近再開しているオトテールのソナタを練習しました。
職場についてから、始業前に、弦を注文しました。いつもイギリスからイタリアのAquilaの牛ガットを買っています。イギリスも物価高騰と聞きますが、ガンバ弦に関しては、変化ありませんでした。送料も戦争前と変わらずです。でも、円安ですのでだいぶ高く感じます。ですので、今回は切れた1弦を4本を購入するにとどめました。もう少し量を多く買う方がお得ですが、一人で使うので、たくさん買うと無駄になりそうです。だれかと共同購入が一番良いのですが、以前に残念な経験をしたので、もうあまりやる気はありません。
さて、Aquilaのガンバ弦ですが、イギリスからですと、牛のガットが郵便で発送されるので、結構安く買えます。このメーカーはラムガットもあるのですが、私の知る限り、イギリスからは買えず、メーカー直接購入が主になります。発送が宅配で、だいぶお高くなるので購入にはハードルが高くなります。Aquilaラムは弦の表面が少し凸凹しているので、ナットの接触面で切れることが多いようです。価格は牛と同じだったと思います。
今回ももちろん、牛ガットですが、アマチュアでへたくその私が自作の楽器で使うには、十分すぎるクオリティなので気に行っています。何より、お手頃価格で耐久性が高く、長持ちするのが良いです。別メーカーのラムガットで評判の良い弦を以前使っていましたが、張りなおして1週間くらいで切れたこともあり、そのようなものは貧乏愛好家にはきついです。
今日帰宅してから、ストックしてあった、Aquilaの牛ガットを張りなおして、夕方練習できました。
タイヤ交換
かつてのブログには、毎年の記録として、冬タイヤ交換した日を書いたものでしたが、ここ何年も怠っていました。
今回は久々の記録です。
本日、冬タイヤに交換しました。
本当は、来週で良いように思うのですが、来週するとすれば日曜です。果たして、天気が良いかは不明ですので、今日のように天気が良く、日中の気温が10℃を上回る日が良いだろうと決行した次第です。
今年の春は、冬タイヤから夏タイヤに交換作業していたら、一つの夏タイヤにくぎが刺さっているのを見つけ、急遽、4本新品に交換することになってしまいました。ですので、今回のナット回しは、タイヤを買ったスタンドが装着したものです。ナットを緩める時に少し強く締めてあると感じましたが、ディーラーよりはマシでした。
使った夏タイヤはホイルを中心に水洗いして、乾かして収納しました。
冬タイヤは、空気圧調整で空気をいれました。今年買った自転車の空気入れを使いました。プレッシャーゲージが見当たらなかったからです。空気入れはレザインです。自転車屋さんで借りたときとても良かったので買ってしまいました。少々お高いですが、グリップが木製で、本体黒色の鉄製。大きなプレッシャーゲージがついており、カッコイイのです。
タイヤバルブにはネジ込みで装着するので、確実です。今回4本のうち3本は当初2.0bar位でしたから、あと0.5barいれれば良く、楽勝でした。気になったのは、右後ろにつけた1本。1barほどしか入っておらず、2.5barにするにはだいぶ入れなければなりませんでした。夏タイヤのときのこともあるので、タイヤの表面を注意深くチェックしましたが、特に異常は見当たりませんでした。しかしこのタイヤは、今後しばらくは注意しなければなりません。
カエルのお宿
朝晩はだいぶ寒くなりました。
これは、一か月ほど前の10月6日のことです。その二日前から、職場の入り口ゲートを朝に開ける時にカエルを見かけるようになりました。
4日は、ゲートを開けた後、地面にカエルがいました。人が歩く所なので踏まれないように近くの植え込みに追いやりました。
次の日も同じカエルを見ました。今度は、ゲートのストッパーのバーが刺さる地面穴から出てきました。で、また同じように植え込みに追いやりました。
そして3日目。ゲートを開けようとしたらまた穴に入っていて、ストッパーを上げようとしたら、穴から出ようとしていました。
で、急いでカメラを持ってきて、撮影しました。
あら、もう開けるのですか。今出ますね。
出そびれてしまいました。 2泊ほど、ここに泊まりました。葉っぱのお布団も気に入りました。
カメラ向けたので、おびえているだけかも・・・
このカエルを見たのはこの日が最後でした。
1998年ベルギー
お題「初めて一人旅をします。一人旅でよかった場所、一人旅初心者におすすめの旅行先を教えてください。」
私が、海外旅行で初めて一人旅をしたのは、ベルギーでした。
楽器を作ってくれたブリュッセルのバロックフルートメーカーに会うことが目的の一つでした。
ベルギーはフランス語、フラマン語、あと確か、一部ドイツ語の国です。ですが多くのの人は英語が使えて、外国人と英語でコミュニケーションするのが上手だという印象があります。ですから私のようにカタコト英語でも、快適に一人旅ができるように思いました。私が旅をしたのは、ブリュッセル、ゲント、ブリュージュ、アントワープだけですので、南部はわかりませんが。
私の旅は長野オリンピック開催中の1998年の冬でした。このことは別のブログに書きましたが、それより少し詳しいことをガンバの先生へのご報告として書いたものの1日目を掲載します。
O先生、
1年ほど前からベルギーへ行く事を計画していましたことは、先生に夏の終わりにお会いしたとき、すこしお話ししました。ついにこの2月21日から3月6日までのあいだ、行ってきました。おもいがけず独り旅となり、また、3月で勤め先を解雇されることなどもあり、この旅の準備期間はとても気の重い時間でした。
なぜ今旅にでるのか、なんどもなんども自問自答しまた。フルートメーカーには、会ってみたかった。旅に出てじっくり自分自身に向き合って、これからのことを考えたいとも思いました。少しは自分の何かが変わるかもしれない、そんな期待もありました。
そんな状態の中、なんとかかんとか実行できました。2月1日のS.V.E.の演奏会の頃にはこの旅行は決まっていましたが、それでも迷いはあって、いっそのことキャンセルしてしまおうか、といつも考えていました。そんなとき、演奏会の先生のプログラムノートを拝読しまして勇気付けられました。帰ったら先生に手紙を出そう、と強く思いました。
「さて、私たちは独りで旅に出るとします。そこで歴史的な建築や美術品に接し、それと面と向い、感動して、その感動を友に伝えようと手紙を書きます。そこが重要だとおもいます。何故ならば、その伝えるという行為が自分を成長させ、友を成長させるからです。」(SVE第8回演奏会プログラムノートから抜粋)
計画のとき、金銭的理由と、独り旅でしかできない体験をと考えて、何泊かをユース・ホステルで過ごそうとしました。日本からはじめの2泊と最後の1泊を予約しました。この予約は、飛行機の到着が遅れたため、無駄になってしまうのですが。
1998年の冬。3年ぶりのヨーロッパ。
2月21日
予約していたホステルに空港から電話したら、18時を過ぎたのでキャンセルになったと言うことでした。到着したのが土曜日だったからか、安いホテルを探しましたがブリュセルではみつからないので計画を変更して、はじめにアントワープに行くことにしました。首都よりは容易にホテルが見つかるだろうと考えたわけです。初めてのベルギーの夜で途方に暮れそうになりました。ブリュセル北駅に行き、公衆電話から『地球の歩き方』で駅の近くのホテルに電話して泊まれる宿をみつけたときは、涙が出そうなくらいうれしかったのです。
ホッとしてアントワープ行きの時刻を見たら、ついさっき出たばかり。つぎは1時間後でした。なんだかうまく行きません。仕方ないので、駅の中でホットドックを買い、駅をぶらぶらしながらパクつきました。
北駅は何だか閑散としていて、不気味なくらいでした。インフォメーション前のベンチでは子供がおかあさんとすわっていて、なにやら大きな声で親にはなしているのが高い天井にこだましていました。
駅前もタクシーが数台客待ちしているだけで、人はまばらです。しかも、あたりにはあまり照明がなく、寒々していました。
定時の10分前にホームに行くとすぐに、アントワープ行きの電車が入ってきました。時間より早いので、運転手に確認してから乗り込みました。やはり、時間より早くでました。そこでヒゲの車掌にも確認したのですが間違っていない様なので、一応安心しました。しかしすぐ、分かりました。ぼくが乗ろうとしたのは急行でしたが、乗ったのは鈍行なのでした。
「なんか、はじめからうまく行かないなぁ」
と、すこし気落ちしました。でもともかく目的地に行けるので良しとするか、と考えることにしました。
そとは真っ暗で、みえるのは窓のガラスに写った自分の姿です。
途中の駅で停車中、肩をトントンたたかれました。見上げるとヒゲの車掌さんでした。
「乗り換えたほうが、早いよ。」
はじめに乗ろうとしていた急行が向かいのホームに追い付いていたのです。もちろん乗り換えました。
なんて親切なのでしょう!だんだん、うまく事がはこびそうな気がしてきました。
アントワープには、10時近くに到着でした。3年まえに1泊した街、なんの因果か同じように最初の夜はここになってしまいました。初めて訪れた時のほうが、すんなりたどり着けたのに・・・(前回は、空港から、直行バスでたどり着いたのでした。)
街はほとんど変わりありませんでした。またそれがいっそう孤独感を募らせました。
ホテルはすぐ見つかり、チェックイン。
レセプションで、先ほど電話した○○だ、と言うと金髪のやせたおばさんが、
「表?それとも裏の部屋にしますか。」
「エート・・どう、ちがうの?」
「表側は、道路に面しているから、うるさいです。裏の方が静かです。」
「じゃ、裏。静かな方がいいからね。」
「わかりました。」紙に、書き込みをしながら彼女は、あ、思い出した、と言う素振りで、
「裏の部屋はシャワーだけだけど、表はバスタブもあるけど、どうします?」
「そうなのですか。ウーン。」ぼくが迷っていると
「バスタブがあるかないかって、そんなに重要?」
なんて言われてしまいました。日本人だなぁ。
「表はそんなにうるさいの?」
「まあ、部屋は4階(日本式には5階)だから、そんなにでもないですよ。」
「じゃぁ、表にします。」
こうして、部屋が決まりました。考えたら、このあとバスタブを使えることなどないかもしれないし、3年前にこのおなじ並びの別のホテルに泊まった時は裏の部屋で、窓から景色が見られずがっかりした経験がありました。この選択は、間違いではないと思いました。
料金は高いけど、ツインの部屋なのでゆったりできました。(でも、部屋を見たときはシングルだと思っていたので、ベットが二つ並んでいるにびっくりしてレセプションで確認しました。)
外もそんなにうるさくはありませんでした。むしろ、となり部屋でかけている長野オリンピックのテレビ中継ほうが、気になるくらいでした。照明がオレンジ色の間接照明なので部屋の内部はとても暗く、「ああ、ヨーロッパにきたんだ、」としみじみ思いました。
荷物を部屋においてすぐ、そとに何か食べに行きました。イタリアンレストランが安かったので入りました。ピザとビールを注文しました。フランスパンとガーリッツクバター、オリーブの実がはじめにでたので、パンはぜんぶ食べてしまったのですが、ピザを見て後悔しました。大きくてとても1人では食べられません。旅の初日でもあるからか、少し緊張していたようです。3分の1しか食べられませんでした。
以上が、昔書いたものの一部です。この後2週間の一人旅を満喫しました。普段ほとんど旅行しない私にとってこのベルギー旅行は今でもとても大切な経験で、この時間があったから今まで何とか生きてこれた、と思っています。
また、行きたいです。